ライン

父「幸次郎」葬儀時の遺族挨拶文
〜平成16年12月28日通夜の夜に徹夜して綴りました〜


[挨拶]
遺族一同を代表しまして一言ご挨拶を申し上げます。
私は、故人、「幸次郎」の長男、「ゆきのり」でございます。
本日は年末のお忙しいところを、わざわさご会葬いただきまして、まことにありがとうございました。
亡き父に代わりまして、厚くお礼申し上げます。
父は一昨日の27日午後2時50分、私ども家族の見守る中で静かに息を引き取りました。
享年75歳でございました。

[生前の状況]
父は社会人生活のほとんどを三井松島産業株式会社にお世話になり、65歳で引退するまでは息子の私から見ましても信じられないぐらい元気な現役生活を送っていました。
思えば、在職中はいわゆるモーレツ社員で、残業や宴席も多く、一緒に遊んでもらった思い出などほとんどございません。
特に、経理業務のコンピュータ化を行っていた頃の父は、息子ながら何故忙しいのかが全く理解できませんでしたが、昭和45年、私が中学生の頃、導入したコンピュータを自慢げに見せてもらった際、「これが息子よりも大事なものだったのか」と納得したものです。
おかげで私もシステム関連の仕事を目指すきっかけになってしまいました。
現役引退後は油絵や自分史作成など、やりたいことが沢山あると言っておりましたが、いわゆる燃え尽き症候群でしょうか、何事にも覇気がなくなってしまい、特に70歳を過ぎてからは鬱状態に陥っていた次第です。
家族としては、引退後も自分の好きなことにバリバリチャレンジする父を期待していましたし、父自身もそれを望んでいたと確信しておりますので、これらやりたいことを実現できなかったことが非常に残念で仕方ありません。

[死に至るまで]
昨年10月に突然黄疸がでて九州中央病院に入院したところ、胆管ガンと診断され、家族には余命3ヶ月程度と宣告されました。
結局、本人には告知せず、このときは胆管にステントという金属製の網を入れて詰まりを解除し退院、その後も肺気胸や腸捻転で2回ほど入院しましたが、胆管には異常なく過ごしておりました。
しかし、今月2日に再び黄疸が出て再入院、胆管ガンが原因と思われる炎症が肝臓内部にも広がり、根本的な治療が出来ない状況で、抗生剤を投与してまずは炎症を抑える治療を行っていました。
それが今月20日に容体が急激に悪化、その時は「2〜3日もつかどうか」と言われていましたが、1週間頑張り抜いたにもかかわらず、逝ってしまいました。
この1週間は、「たぶん父は残される家族みんなが覚悟するために必要な時間を確保してくれたのではないか」と遺族一同感謝しております。
私も24日、25日の2日間、病室でほとんど会話が出来ない父と夜を共にしましたが、父の苦しそうな呼吸音を聞きながら、いろいろと話しかけたりして心の整理が出来ました。

[お礼の挨拶]
今後は遺された私共が精一杯生きることで父の意を継いでいくことになりますが、今後とも今まで同様、皆様方の暖かいご高誼を賜りますようお願い申し上げます。
特に、残された母には、父の分まで自分のやりたいことを好きなだけ楽しんで生きてもらいたいと願っておりますので、皆様方の変わらぬお付き合いのほどをよろしくお願い致します。

これをもちましてお礼のご挨拶といたします。
本日は誠に有り難うございました。

トップ アイコン
トップ

ライン

inserted by FC2 system